【スクラップ・アンド・ビルド】羽田圭介:要介護三を五にする過剰な足し算の介護とは!?

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はじめに

第153回芥川賞受賞された、羽田圭介さんの小説「スクラップ・アンド・ビルド」の感想を記載。

以前にkindleで購入したのだが、読んだか読んでないか分からないままであり、再読した。

本の表紙の無機質な建物が立ち並ぶ様子が、スクラップ・アンド・ビルドを示しているように見えるのと、最後まで終わりなく建物が続く様子が、終わりなき介護を暗示しているようで個人的には好き。

なお、ネタバレ含みますので、この記事は読了後に読むことをおすすめします。

あらすじ

主人公の健斗(28歳)は、新卒で入社した会社を退職し、資格試験の勉強をしながら就職活動をする傍ら、母親とともに同居している87歳で要介護でありながらまだまだ健康体の祖父の介護をしており、「早う死にたか」と毎日呟く祖父に対して母親とともに祖父に対してストレスを感じていた。そこで、健斗は敢えて過剰に世話を焼いたり、日々筋力を鍛えたりすることで祖父を弱らせようと考える。そうして彼女とも交際しながら、介護と就職活動の日々を送る無職の青年の目から「死への希望」と「生への執着」を同時に持つ祖父の姿を描いている。

足し算の介護と引き算の介護

体が不自由で、毎日のように「早う死にたい」と尊厳死願望を募らせる祖父に対して、孫の健斗は安楽死ができないこの国の現状を考え、友人の介護福祉士からの

骨折させないまでも、過剰な足し算の介護で動きを奪って、ぜんぶいっぺんに弱らせることだ。使わない機能は衰えるから。要介護三を五にする介護だよ。

「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介

というアドバイスを元に「過剰な足し算の介護」に積極的に取り組むことになる。「過剰な足し算の介護」って何!?と、興味を惹きつけられたのだが、具体的には下記の引用のような行為である。

健斗は過剰な介護に今朝から再び全力でとりくんでいる。「やおくて甘い」食べ物の代表格で祖父の好きなトーストを少し焦がしてしまったが、マーガリンとジャムをたっぷり塗り昼食として出した。焦げとマーガリンは発ガン性が近年問題視されているが、死に到る病の中ではガンが最も楽だと聞いている。祖父の部屋のカーテンを全開にすることで、日光による皮膚ガン発症をうながしもした。使い終えた皿やコップも健斗がさげることで被介護者が運動する機会を奪った。服薬自殺未遂以来ずっと中身をラムネに変えていた「睡眠導入剤」と記された小瓶の中に、大量にストックのある本物の睡眠導入剤を足し入れた。

「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介

反対に、同居している子供や孫に甘えてくる祖父の発言や行為に、嫌気がさしている母(つまり祖父の娘)は

「お母さん、お皿、お願いします」
「自分で台所まで運ぶって約束でしょ。ったく甘えんじゃないよ、楽ばっかしてると寝たきりになるよ」

「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介

と、引き算の介護を徹底して行う。

どちらの介護も良い悪いは抜きにして、各々信念があり、かつ、対象的なアプローチとして位置付けられているのが、面白いと感じた。

祖父を反面教師に筋トレでビルドする孫

体が不自由で「死にたい死にたい」と言う祖父のようにはなりたくないと、孫の健斗は筋トレに励むようになる。健斗自身は、無職で中途採用面接に受からない状態が続いているものの、同居する祖父を介護することで、祖父と比較して、自分が五体満足でかつ、筋トレで筋肉を成長させているという一点において、自覚的になり、自己肯定を育んでいる点もなるほどなぁと感じた。

しかし健斗の脳裏には、甘えきった末に自立歩行もできなくなった老いた人間の姿が浮かび上がる。目先の楽にだまされるな、怠けちゃだめだ俺の筋肉。

「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介

そして、筋トレは徐々にエスカレートしていき、ジムのマシンなどではダメで、自重で極限まで追い込むことが、物理的に筋肉を成長させるだけではなく、メンタルも鍛えられるという結論に行き着く。そして、腕立て伏せの状態から、両手を同時に話して、体を地面スレスレにまで降下させて、直前で手をついて持ち上げるという「急降下」という自重筋トレを行い、結果的に手首を痛めることになる。

つまり健斗が今いくら〝急降下〟鍛錬をしても、半世紀も生きれば祖父のような肉体ならびにそれに伴う堕落した精神になってしまう事実を見せつけられているようなのだ。見ているだけで未来の自分を馬鹿にされるようで、だから孫に威厳を示すためにも、祖父にはせめて有終の美を飾ってほしいと健斗は思う。

「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介

過剰な介護をすることで、自ら祖父を衰えさせようとしている一方で、いくら今筋トレして自分を鍛えたところで最後は祖父のようになってしまうのは嫌だから、祖父には威厳を示してほしいという、アンビバレントな感情が吐露されているのも面白い。

死にたいと言いつつ、生に執着する祖父

いつも、死にたい死にたいと言い、杖をついて家の中を歩いているはずの祖父が、ある時家で1人の時に、杖もなく機敏に動いているのを目の端に目撃した健斗は愕然として、自分の「過剰な足し算の介護」は意味をなしていないのではないか、と疑問を持つようになる。

そして、祖父を風呂に入れる際に、祖父が「溺れるから手を離さないで」というのを「おぼれねぇよっ」と強引に手を振り解く。すると祖父は、おぼれているかのようなリアクションをとり、ギョッとした健斗が、すぐに引き上げると、このようなやり取りが続く。

「ありがとう。健斗が助けてくれた」
穏やかな口調で言われ、健斗は動きを止めた。
「死ぬとこだった」 その一言に、一畳半ほどの脱衣所で平衡感覚を失い、おぼれそうになった。
違ったのか。
自分は、大きな思い違いをしていたのではないか。悪くなるばかりの身体で苦労しながら下着をはく祖父を見ながら健斗は、心を落ちつかせようとしていた。こうして孫をひっぱりまわすこの人は、生にしがみついている。

「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介

本作では明確に描かれてはいないが、死にたいと口では言いつつ、祖父は生に執着しており、かつ、同居する娘や孫に構ってほしいという思いが強いので、全ての行動はそこから生まれていたのだろう。「死にたいと言いつつ、生に執着する」。一見相反するようだが、1人の人間の中に同居し得る感情を綺麗に表現しており、これはフィクションだが、ノンフィクションの世界でも日常的に起こっているだろうと容易に推察された。

文章の表現が面白い

個人的に、面白い、さすがだと感じたフレーズをいくつかピックアップ。

ハリボテの奥ゆかしさに鼻白む
高解像度の地デジ画面は、年寄りの目では処理できない。
祖父の耳が単一指向性マイクみたいになった
社会的な仮面 昼も夜もない白い地獄

「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介

タイトルに関して

タイトルに関して、ビルドという単語は、筋トレの部分で本作で1回だけ登場する。筋トレして自分の肉体をより良く再構築する行為として、「ビルド」という単語が使われている。

比して、スクラップという単語は1回も登場しないが、なぜスクラップという単語を使ったのだろうと興味を持った。語源的には「解体する」「処分する」などの意味で、ビルドの反意語になりそうだが、「過剰な介護」を通じて祖父を徐々に弱らせていく行為をスクラップとして暗喩しているのかな、などと思った。

ただ、ググっていたら、羽田さんのインタビュー記事を見つけて、下記のように回答されていて、若干拍子抜けだったが、逆に面白いとも感じた。

タイトルはわりと最後につけます。『スクラップ・アンド・ビルド』でいうと、まず「ビルド」という言葉を最初に思いつきました。そこから派生して最終的に『スクラップ・アンド・ビルド』に落ち着いたんですが、他にも候補には漢字二文字のタイトルとか、平仮名と漢字まじりのものもありました。ただ、『スクラップ・アンド・ビルド』は介護を扱った話で、それは日本近代文学から連綿と受け継がれている“病気文学”のジャンルにあたる。その系譜には素晴らしい作品がたくさんあるので、それらとは違ったバカっぽい感じを出そうという発想があったんですね。漢字二文字だと湿った感じになるけれど、カタカナの長いものだとペラペラなバカっぽさが出るかなと思ってこのタイトルに決めました。

出典:芥川賞作家・羽田圭介さんが語る、ありのままの日常

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