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川上未映子『黄色い家』読書感想:1990年代の混沌に揺れる人々と生きづらさの本質

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はじめに

川上未映子さんの『黄色い家』は、1990年代の東京という時代背景の中で、貧困や犯罪、そして疑似家族との関係を描きながら、「生きづらさ」の本質を浮き彫りにする作品。この物語を通じて、私たちは社会の構造的な問題と、それに巻き込まれる個人の切実な姿を目の当たりにする。以下に、特に印象深かったポイントを記載。

1990年代の混沌と犯罪の変容

物語の背景である1990年代は、日本がバブル崩壊の影響を引きずりながら、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件など、社会的混乱が連続していた時代。この混沌とした状況の中で、花たちのような社会の周縁に追いやられた人々がどのように生き抜いてきたのかが鮮烈に描かれている。

特に印象的なのは、物語の後半にかけて、花が擬似家族ではあるものの本当の家族のように暮らしている自分を含めた女性4人の生活を支えるために、徐々に高額を稼げるカード犯罪に手を染める過程が生々しく描かれている。その心理描写があまりにリアルで、「普通の人間がどのようにして犯罪に足を踏み入れ、一度踏み入れたら引き返せなくなるのか」を痛感させられた。

また裏社会に関してお、かつて暴力団による「秩序」の中で守られていた人々が、現代では無秩序なアメーバ状の特殊詐欺に吸い込まれるという時代の変化も描かれている。犯罪の形態が組織的なものから分散化された無形の脅威へと変容する中で、花たちのような人々が生きる世界は、ますます不安定で危険なものとなっていく様子も描かれている。

花はお金を必死に稼ぎながらも、根っからの善良さから周囲のトラブルを補填し、また一からやり直す生活を繰り返させられてしまう。この無限ループは、現代においても多くの人々が直面する「抜け出せない構造」を象徴しているように思える。

黄美子さんとの関係:矛盾する感情と救い

物語の中で終始テーマになっているのが、主人公・花と黄美子さんの関係です。黄美子さんは、物語で明記はされていないが、おそらく境界知能のため合理的な判断が難しく、それゆえに花は「自分が守らなくては」という強い思いを抱く。しかし、実際に擬似家族を支えるお金を稼いでいるのは花であり、周囲は何もしないという現実に直面すると、彼女は複雑な感情を抱く。

花は黄美子さんに苛立ち、時に八つ当たりしてしまうものの、その裏には「自分がどうにかしなければならない」という責任感と、「なぜ私ばかりが」という葛藤があり、物語の終盤、花は黄美子さんを守ることに疲れ果て、半ば見捨てる形で離れていく。しかしその後、自分自身が中学生時代にどれだけ黄美子さんに救われていたかを思い出し、再び彼女と再会する。、人間関係の矛盾と救い、そして愛情の複雑さが巧みい描かれている。

お金と生きづらさ

また、黄色い家では、終始お金も大きなテーマになっている。

主人公の花は貧しい家庭で育ちながらも、精一杯生きようとする。一方で、途中から同じ暮らしをすることになる桃子は「裕福な家庭に生まれた子供もまた親の見栄や世間体に苦しむ」という状況も描いており、お金があるからといって必ずしも幸せとは限らない現実も突きつけている。

黄色い家に関する川上さん自身の対談がYouTubeに上がっているが、お金がない人にとっては、「お金=生存の時間」と直結していると述べている点がとても印象的だった。

お金があったら今年は旅行できるな?とかいう次元ではなく、今月の家賃が払えるか?子供の学費を払えるか?自分が何歳まで生きられるか?という生存時間に直結している。


おわりに:川上未映子が投げかける問い

『黄色い家』は、1990年代の光と影の中で、人々がどのように生き、どのように挫折していくかをリアルに描き出した作品。同時に、貧困や境界知能、家族の形といったテーマを通じて、現代社会にも通じる普遍的な問いを投げかけている。

この物語を読み終えた後に残るのは、ただの悲哀ではなく、どこか人間の持つ可能性を信じさせる温かさだと個人的には感じた。

川上さんの作品は今回で「乳と卵」「すべて真夜中の恋人たち」に次いで3作品読んだ。毎回女性の一人称視点であるという点は共通しているものの、テーマは毎回バラバラに描けるのもすごい。

すべて真夜中の恋人たちの感想は以前こちらに記載。

いじめの状況を生々しく描いているとレビューでは記載されていた「ヘブン」も購入したのでこちらも読みたいと思う。

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