【中学受験】中受関連の小説を一通り読んでみた結果

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はじめに

何のきっかけだったか忘れてしまったが、数ヶ月くらい前に中学受験に興味を持った時に、いくつかの小説・ノンフィクションを読み漁ったので、その時の備忘録を記載。

読んだ本は、次の5冊。あと「二月の勝者」という漫画。どの本も臨場感あふれていて面白かった。感想を本ごとに記載。

中学受験ウォーズ:君と私が選んだ未来

中学受験に関する6組の親子のストーリーを記載している。

「ここで合格しないと、東大や早慶と無縁の人生になるのよ!」

「桜蔭から東大母」が直面した「子どもは勉強ができない」というショック。

高学歴親が自分の子供も当然のように、中学受験に成功できると思い、新小4から娘を塾に入れさせるも、子供の偏差値は思うように上がらず、志望校の偏差値を少しずつ下げていき、最終的には偏差値的にはそれほど高くない中学に合格。

合格後、娘は「勉強より得意なことの方が多いもん。そういう人がいるんだよ!ママとは違うタイプなんです!」と母に伝える。

「あなたが解けない問題は、誰にも解けない」

最難関も目指せる資質と環境のはずが、本人は自身と度胸が足りず、テストの結果は振るわない。そこで、母親は、息子自身が自分を縛っている思い込みを解く必要があると感じ、女優になることを決め「君が解けない問題は、誰にも解けない」という声掛けを、息子が6年生になった時に行った。

すると、偏差値が50台後半から徐々に上がっていき、最終的には麻布に合格。

「一歩一歩を積み重ねよう」

息子が幼い頃に離婚して、シングルマザーとしてCAの仕事と子育てに奮闘する母。息子の中学受験勉強の伴奏までは時間が取れない。野球部に入って甲子園に出たい息子は早実を第一志望に。中学受験で第一志望は不合格になったが、第三志望に合格。子どもは高校受験で早実に行くといい、実際に3年後、早実高校に合格。

「親としての胆力を試されている…でももう限界!」

中学受験が嫌な思い出にはならなかった母親は、「結果よりも過程を」意識し、娘を新小四から大手塾に入れるも、娘は「過程」にさえも全然コミットをしないことに焦りを感じてしまう。娘はチアが大好きで週3回は絶対に行くといい、大手塾へはついていけなくなり、個人塾へと途中から切り替え。その後も、娘はチアと塾を並行して偏差値40台後半のまま、中学受験に突入。第一志望の恵泉の1日目に不合格になるも、3日目のより難しい恵泉に再挑戦し合格。

「地頭が悪いから仕方ないのよ」

「孫は母親に似て勉強ができない」と、息子(夫)を開成に合格させた姑から暗に言われていた母は、悔しくて、幼児教育、早期教育、低学年からフォトン算数クラブ、満を持してSAPIC、と子供に与え続けてフォアグラ状態。しかし、息子の偏差値は上がらずに40台半ば状態で、義母が夫に「結局は地頭のいい子に抜かされちゃうのよ」と言っているのを母は聞いてしまう。5年秋から早稲田アカデミーに転塾するも、開成特訓クラスには入れず、義母から「塾なんて変えたって仕方ないのよ」と言われてしまう。

息子からは「俺の半分はママの遺伝子なんだけど、ママ大学行っていないんでしょ」と言われ、「地頭が悪いから仕方ないのよ」と母は息子に言ってしまう。

それに対して息子は「俺はてっきり、ママの見栄のためにママは俺に勉強やらせてるんだと思ってたよ。そんなに勉強言うなら、自分が子供の時にやればよかったのに、自分が必死に勉強もしたことないのに、開成行けって言われてもね」と言い、母は衝撃を受け、自分は息子を踏みにじってきたと後悔。その後は、偏差値ではなく息子に本当に合っている中学を受験させようと思い直し、結果的に海城に合格

「ゆる受験と決めたはず。。でもこれで本当に受かるの?」

不登校になり、公立回避のために中学受験を選んだ親子。しかし、子どもは今ひとつ身が入らない。親は焦ってしまい、ついきついことを言ってしまう。そして、親は子供が勉強していると言いながら、答案を書き写しているのを見てしまい、娘を追い詰めてしまっていたことにショックを受ける。担当講師から偏差値の順番が志望校の順番ではないと言われ、偏差値呪縛から逃れることができて、玉川学園に無事合格。

親がはまりがちな中学受験沼トラップ

1)自分が勉強してこなかったので、子供の受験で取り戻そうとする
2)塾のクラスや持ち偏差値に必要以上にこだわる
3)中学受験を、コスパ・タイパで考えてしまう。ここまでお金と時間をかけたら後には退けない
4)自分が優秀なので、子供もできると思い込む

翼の翼(朝比奈あすか)

専業主婦、円佳は進学塾にも中学受験にも縁のない育ちであり、指定校推薦で女子大へと進学したが、子供を産んでから、自分が子供の教育に興味を持っていることに気づく。そして、息子、翼に小学2年生の時に大手塾のテストを受けさせる。

その結果、国語の偏差値が67と何も対策していない状態で高い結果を息子が残し、担当講師からも「すごい!」と言われ、有頂天になり、そのまま塾に息子を通わせ始める。息子はその後、S1という塾の最上位クラスをキープし、水泳も週5で通い続け、同じ塾に通うお母さんからは「翼くんは地頭が違う」と称賛され、円佳もますます得意気になる。

しかし、小4になると翼は成績が落ちてしまい、円佳は焦り始める。小6になっても成績が上がらないことに肝を冷やした、有名私立の中高一貫校受験経験者の夫真治が円佳の代わりに翼の勉強を見始める。「なんでそんな問題もできないのか!凡人は手を動かせ!」と夫は息子に怒鳴ってしまい、教育虐待同然となる。そして、息子は、父親に怒鳴られたくないあまり、塾の確認テストをカンニングしてしまう。そのことを知った父親は逆上し「終わったな。こんな結果じゃどこも受からない。中学受験やめさせるしかない。金の無駄。俺はあいつを見捨てるから」と円佳にLINEする。

そこで円佳はようやく、知らず知らずのうちに、息子を追い詰めていたことに気づき、翼の本当の気持ちを聞き、翼に何かを言うのをやめることに決める。そして、翼が話しかけてくれたら、愛情を込めて返すことを決意する。

最終的には、翼は第一志望校には不合格になったが、父親と同じ中学校には合格する。

勇者たちの中学受験

親子3組の実話をもとにしたノンフィクション物語であり、真剣勝負のルポルタージュ

アユタ:小1からスタートダッシュを切り、親も万全の体制で臨むも、、

両親とも中学受験経験がなかったが、父親は職場の先輩から中学受験の話を聞き、目標に向かって頑張る経験が子供のためになりそうと思い、小一から、息子のアユタを花まる学習会に通わせる。中学受験までの助走期間ができるだけ長く取った方が良いだろうという考えから。その後、小二の5月から早稲田アカデミーに通わせ、アユタは当初楽しそうに通っていた。

しかし、小四になると急にライバルが増え、アユタは下のクラスに落ちた。流れを変えたいと思った父親はサピックスに鞍替えさせたが、小6には偏差値が40にまで落ちた。親としてできる限りの中学受験の研究をし、ありとあらゆるリソースを投入したにも関わらず、アユタの成績は振るわず、志望校を栄光学園→慶應普通部→浅野へと徐々に下げざるを得なくなった。最終的には中大横浜と鎌学に合格し、中大横浜に進学。中学受験を経て、父親は、結果ではなく過程が大事と心に刻んでおいたにも関わらず、結局、結果だけに目が入ってしまった自分の視野の狭さを情けなく感じた。

ハヤト:三冠(灘・開成・筑駒)合格に最も近いとまで言われたが、、

塾で「三冠(灘・開成・筑駒)」全ての合格に最も近い男と呼ばれていたハヤト。小四から早稲アカに通い始め、特待生でほとんどの授業料が免除された。ハヤトは幼い頃から他の子達と違うのは明らかで、2歳でカルタを全部覚え、兄のベネッセの教材も全部代わりにやってしまうような子供だった。

母親も、この子は違うと熱が入り、授業内容を完璧に定着させるため、宿題を全て2回ずつ解かせるなど、抜かりなく行っていたが、熱が入りすぎてしまい、いつしかハヤトは「言われないとやらない子」になってしまう。それでも、ハヤトは小5の時点で、開成の当日入試問題を同日に解かせて、すでに合格するほどの実力をつける。

ただ、灘受験で失敗してしまい不合格に。開成受験の前日に、塾の先生から「俺の生徒は今まで全員灘に合格していたのに泥を塗りやがって。だからお前はダメなんだ」と、罵倒されメンタルを崩し、開成も筑駒も不合格に。それでも、聖光学園に合格し進学するも、安全に無気力・抜け殻状態になり、定期テストはほぼ学年ビリ状態に。両親も離婚してしまう。

母親は、自分を悔い改め、偏差値やテストの点数で人間を評価する価値観との決別をする必要があると感じ、「学校の成績は伸ばしません」と宣言し型破りな私塾を主催している「いもいも」教室にハヤトを連れていくことに。ハヤトは野外プログラムなどを通じて徐々に自分を取り戻していく。

コズエ:長女の中学受験時の反省を活かして、次女に接した結果、、

両親は中学受験経験はないが、長女アズサの中学受験を経験し、その時の反省を踏まえ、次女のコズエにも中学受験させるなら、もっとしっかり準備しようと夫婦で話し合った。母親の咲良は、コズエにあった塾選びをと塾選びも入念に行い、新小四の二月から「うのき教育学院」という集団塾に通うことになる。最初は順風満帆だったが、コロナの影響で授業がオンラインになってから、コズエの成績は緩やかに下降し始め、偏差値が40前後になった。そして、つい咲良は「やる気がないなら中学受験やめてもいいんだよ!」という禁句をコズエに言ってしまう。

しかし、その後、後悔し、偏差値主義ではなく、コズエの学力の範囲内でコズエにあった学校を、多く見つけてあげることが両親の役割なのではと思うようになる。すると、咲良の焦りは消え、と同時に、家の中の日常が嘘のように穏やかになった。最終的にコズエは第一志望の普連土に合格する。

下剋上受験:両親は中卒 それでも娘は最難関中学を目指した!

中卒の父と、偏差値41の娘が、進学塾にも行かず、2人で桜蔭中学を目指すノンフィクションの物語。

父親は、受験さえすれば絶対合格すると言われた地元の工業高校に進学するも、高校にいる必要性に疑問を感じ、高校を辞めて、その後社会人となり数多くの転職を繰り返す。中卒の流れは自分で堰き止めて、娘は受験してほしいと思うようになる。そして小5の9/1から、塾に行かずに、親塾という形で、父親も娘と一緒に受験勉強をスタート。スタートした日から受験まで1日も休まず、旅行や身内の冠婚葬祭も欠席し、放課後から深夜まで毎日勉強。一度もテレビを見ず、公園にも行かず、娘はファザコンと学校でからかわれ仲間はずれになるも、全く意に介さずひたすら勉強。

結果は不合格だったが、他の難関女子中学に合格。

最後の方で面白い見解を述べられていた。

実際、学力がぐんぐん伸びる実感があった。しかし、最難関には届かなかった。これ以上の勉強時間の確保は無理だった。睡眠時間はこれ以上削れない。やはり期間が短かったのかというと、それは違うと思う。1年5カ月しかなかったから届かなかったのではなく、3年あったとしても、やはり私たちは最難関には届かなかった。5年あっても同じ結果だったと思う。  

それは遺伝とか地頭とかそういう単純な話ではなく、最難関は学力だけ伸ばそうとしても決して届かない場所にあるのだ。 学力は勉強すれば伸びる。確かに伸びる。しかし、最難関レベルまで伸ばすには学力と同時に性格を変えなければならないことに気付かなかった。「性質」と言ってもいいかもしれない。

知識を得るときも常に整理しながら収納していくのだ。取り出すときのことを考えているのだ。散らかれば片付ければいいということではなく、収納する時の気持ちが学力なのだ。 すぐに取り出せることの気持ちよさを得たいがために準備を怠らない子は、どんどんプラスに積み上げていくのだ。 最後の砦は「性格」「性質」を成長させていなければ越えることはできないのだ。

「几帳面な子」という単純なものではなく、「準備する理由を知っている子」に育てなければならない。アウトプットのためにあるインプットだという暮らしに慣れていなければならないのだ。それがないと、知識を瞬時に見つけることができるかどうか、当日の運に頼ることになる。

出典:下剋上受験:両親は中卒 それでも娘は最難関中学を目指した! 桜井信一 (著)

上記は、情報の構造化(チャンキング)という作業について触れており、同じことは他の本でも述べられている。

ひととおり読んでみて

中学受験は、結構デリケートな話題なので、立ち入った感想は控えるが

  • 親子の数だけドラマがある
  • 早期教育をすれば良いかというと、そういうものでもない
  • 偏差値至上主義にどうしても絡め取られやすい。
  • たとえ中学受験に全滅しても、「やってよかった」と思える境地に達することが大切?
  • 自分が勉強してこなかったので、子供の受験で取り戻そうとする親もいれば、自分が高学歴で優秀なので、子供もできると思い込んで、子供の中学受験に参戦する親もいる。

塾歴偏重に対する継承と、知能の遺伝率に関する記事はこちら

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