第1話はこちら>
10名程度のチームを解散して、0からの船出へ
お薬管理サービス「flixy」のコンテスト後
さて、医学生時代に医療系アプリ開発コンテストで出会った現CTOの片岡ですが、当時私は医学部6年生、片岡は大学院の最終学年ということで、来年からはお互いに就職することを決めていました。コンテストで優勝したお薬管理IoTサービス一本でやっていくという思いまではなく、空いた時間に少しずつ進めようという感じでした。
その後、お互いに就職し、私は研修医として忙しく、片岡もR社で新規事業開発のエンジニアとして忙しくしていたので、会って話せるのは土日の1,2時間くらいで、案の定プロダクトは遅々として進まず、あっという間に2年が経過しました。その後、R社の500万円のフェーズの社内ベンチャー制度に応募したら運良く通ったので次の5000万円のフェーズに向けて実証実験をしたり、人数も10名くらいに増えたりと色々とあったのですが、結局熱量が続かなかったのと、ビジネスモデルを構築できなかったために、2016年11月にプロジェクトを解散し、メンバーも解散しました。ここら辺の詳しい話は別記事に記載したいと思います。
まさかの、コンセント抜かれてた!
最終的には、初期の生活習慣病の中高年をターゲットとしたタバコ型のケースではなく、認知機能が低下してお薬を飲み忘れしやすい高齢者にターゲットを変更し、お薬カレンダーのIoTデバイスという、大変コストのかかる大掛かりなハードウェアを作っていました。
スマホと連動していて、スマホで設定した服薬時刻になると、お薬カレンダーのうち、その時間に飲むべきお薬シートの入っているポーチが光ります。そして、ユーザーがお薬シートを取り出したことを、ポーチの上部にあるタッチセンサーで感知して飲んだことを(正確には取り出しただけで飲んだかどうかまでは分からない)遠くに住んでいるご家族や服薬管理をしている薬剤師などに通知するというものです。
余談ですが、これを親戚のご高齢の方で実証実験したところ(少し認知症が入っている)、導入した3日目くらいから通知が来なくなり「あれ、どうしたんだ?」と思い、電話して聞いたところ
「あーあれね、なんか光っていて電池もったいないと思ったから、コンセント抜いたわよ」
と言われ、まさかすぎる回答にチーン、南無阿弥陀仏となったのを今でも覚えています。
軽度認知症を含め、認知機能が低下した高齢者をターゲットとしてのサービスなのに、いや、だったからこそ、まさかの電気もったいないからという理由で大元のコンセント抜かれてしまうという。課題はあるけどターゲットとソリューションが完全にミスマッチしているなと、実感させられました。
導入のためだけに、往復で東京から香川に行ったのに、帰ったらデータが飛んでこないという悲劇でした。
DMM.make AKIBAとの出会い
当時は、ハードウェアの開発ということで、DMMが運営しているモノづくりのためのコワーキングスペース「DMM.make AKIBA」でプロトタイプ開発をおこなっていました。当時、さまざまなメンターの方々やコミュニティマネージャーの方にお世話になりました。
余談ですが、お薬サービスを終えた時は「ハードなんて、もう絶対にやらない!懲り懲りだ」と思っていましたが、その後、メルプでSaaSサービスをやり、JMDC売却後にイシヤクというアプリサービスをやり、「もうソフトウェアやアプリはいいかな。次はハードやりたい」と、まさかの当時とは180度の心境変化になり、またDMM.make AKIBAに入って、今はネコ型のおしゃべりロボットを作っていています。
人生、何があるか分からないですね(苦笑。
創業メンバーが3人になるまで
何者でもない感:浪人の時のどん底よりはマシ!?
そんなこんなで、医師3年目の2016年11月にサービスをチームとともに解散しました。また0からの船出となり、「次は何しようかなぁ。ハードウェアはコリゴリだから、次はソフトウェアかなぁ」などとボンヤリ考えていました。
ちなみに、一般的には研修医が終わると、そのまま大学病院の医局と呼ばれるグループ組織に属して、さらに研鑽を積んで3-5年くらいかけて各診療科の専門医をとりにいくことが医師のキャリアとしてほとんどです。ただ、私は、医局に所属せずにバイトのみという感じでやっていたので(医師としては最底辺のペーペーです)、当時は、何者でもない感じが強かったです。
周りの同期は着々と医師としてのキャリアを進めている中、自分は医師のキャリアも投げ出して、お薬サービスもうまくいかずにサービスもチームも解散して何やってるんだろう?みたいな。
私は大学受験で1浪しているのですが、その時の方が、さらに何者でもない感(仕事もしていないし、社会的金銭的価値0だなぁ。来年も受からなかったらどうしよう?)が強く、かつ、1年に1回しかチャンスがない大学受験に合わせて、1年間ずっと頑張り続けないといけないプレッシャーが大きく、浪人中の7,8月くらいに軽度の鬱になっていました。個人的にはあの時の、先が何も見えない閉塞感の辛さの方が強く(鹿児島から東京に来て、友達もほとんど作らず勉強していて途中で糸が切れました)人生のどん底だったので、「浪人の時から比べたら、今は研修医上がりのペーペーの医師とはいえ、バイトをしてお金を稼ぐことはできるし、事業がうまくいかなかったらまた医師の道に戻って専門医を取ることもできるし、はるかに状況は良いな」と思い直し、空虚だけどいくらかポジティブに考えていた気がします。
その後も、会社が2回ほど倒産しかけて(翌月のCTOの給与が払えない!)夜眠れなくなったり、最近だとFXの投資詐欺にあってメルプの売却益分ほとんど溶かしてしまい(正確には出金ができなくてどうなるか分からない状態。0円になってるかもしれない)今2000万円借金して返済中だったりと、いくつかハードシングスはあるのですが、今までの人生では浪人時代のあの虚無感に勝るどん底はないので、何か辛いことがあったら、浪人時代を思い出して「あの時より全然マシ!」と思ってポジティブに過ごしてます。
同級生の眼科医がジョイン
そんなこんなで、次何しようかなぁとぼんやり考えていた時に、近況報告を兼ねてたまたま医学部時代の同級生、水上とランチすることになりました。
彼は、同期でトップクラスに優秀で、アメリカの医師免許もすでに取得していて、移植外科医としてアメリカでバリバリ働くんだろうなと思っていたら、なぜか眼科医としてその時は仕事していました。個人的には結構衝撃的で、「まさかあの水上が、今は眼科医なのか。近況を色々聞いてみたい」と思っていました。
それで、ランチをした時に、お互いの近況報告をすると
「次、またサービスやるんだ。それなら一緒にやらない!?」
と提案され
(えー、今まで臨床バリキャリを突き進むと思っていたのに、このビジネスへの興味の変容ぶりはなんだ!?ビジネスにも興味出てきたのか?でも元々多方面に興味あるやつだったしなぁ。面白そうだし一緒にやってみるか)と思い、2つ返事で「一緒にやろう」と伝えました。
そんなこんなで、同級生の水上がジョインすることになりました。
3人で顔合わせ
flixyのお薬管理サービスでチームとサービスは解散したのですが、ソフトウェアエンジニアとして開発に主に携わっていた片岡とは、次のソフトウェア/アプリサービスで、また一緒にやりたいと思っていたので、声をかけました。
「flixyは、まぁ、色々あって、クローズしたけど、次また医療系のサービスやりたいと思ってるから一緒にやらない!?」
「いいね!ぜひ!」
「おー。ありがとう!(即答だな、おい)」
片岡のこのフットワークの軽さが私は好きです。彼はITガジェット好きで、クラウドファンディングに出ている、私からしたら本当に機能的なのかどうか分からない商品でも、勢いで飛びつき買いして、その後2,3ヶ月したら使わなくなっているというのを度々繰り返しているのですが、そういうところも含めてフットワークの軽さが好きですね。
元々アプリ開発コンテストの時も、片岡も、ヘルスケア分野で何か面白い・役に立つサービスを作れればという思いで参加していたので、前提の価値観が共有できているのがよかったかなと、振り返ると思います。
とはいえ、水上と片岡は面識がなかったので、顔合わせをすることに。
みんな日中は仕事していたので、夜に新宿サザンテラス内のファミレス(なぜそこになったのかは思い出せないですが、誰か直前に近くで予定あったのでしょう)でサービス案出しを兼ねて、食事することに。
顔合わせも上手くいき、お互い相性も良さそうで、ほっと一安心。
そして、メルプWEB問診を含め、大きく3つくらい事業アイデアが出ました。
1)医療機関向けの予約サービス(米国ZocDoc参考)
https://www.zocdoc.com/
2)WEB問診サービス
3)バイトしたい医師と受け入れたい医療機関を人材紹介を介さずにダイレクトにマッチングさせるサービス(Uberのmedical版ということでmedUber)
次の話では、それぞれのサービスに関して具体的にどのようなビジネスを考えていたので、今振り返ってみて、考慮が漏れている点や実現可能性などを記載していきたいと思います。
コメント