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【読書記録】2024年7月に読んだ本8冊:ブラックボックス・何者・弱者男性

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はじめに

2024年7月に読んだ本8冊
「ブラックボックス」
「デュアルキャリア・カップル」
「すべてを手に入れたってしあわせなわけじゃない」
「等身大の定年後~お金・働き方・生きがい~」
「何者かになりたい」
「弱者男性1500万人時代」
「パーティーが終わって、中年が始まる」
「老いの深み」
の感想を記載。

ブラックボックス(砂川文次)

第166回芥川賞受賞作の作品。

自衛隊を辞め、いまは自転車メッセンジャーの仕事に就いているサクマの一見変わり映えのしない日常とそこからの転落を描いている。

おそらく境界知能で、役所の手続きや少し難解な文章になると途端に文字が読めても意味を理解できない主人公が、メッセンジャーの歩合性という単純かつ明快な枠組みでうまく適合して日常生活を送っているものの、時折の感情の暴発や人間関係のトラブルで、今まで積み上げてきたものを一気に台無しにしてしまい、転職を余儀なくさせられたり、収入が減ったりして、最終的には刑務所送りにまでなるという焦燥感ある人生の様子を見事に描いている。

感情を理性で制御できずに一瞬のうちに積み上げたものを台無しにしてしまう時の心の流れを、かなり臨場感高く言語化されているところがすごいと感じた。

デュアルキャリア・カップル――仕事と人生の3つの転換期を対話で乗り越える(ジェニファー・ペトリリエリ)

子供ができると生活が変わる・親の介護・中年危機など、今まで、いずれ訪れるライフステージとして漠然と認識はしていた部分を長期的かつ包括的な視野でまとめている。

子供が誕生するまでの、制約がない20代から30代にかけては、「自分たちは仕事も家庭も、望み通り全てを手に入れることができる」と盲目的に信じていたものが、子供の誕生とともに現実的には難しいことを実感させられる。ただ、そこで経済的合理性のみを基準にして、どちらかがキャリアを諦めるのではなく、夫婦の対話を通じて、できれば両方ともキャリアを中断することなく第一の危機を乗り越えることが重要と力説。共働きが当たり前になりつつある今の時代において、参考になるところが多かった。

この本の感想は、別記事で詳しく記載した。

すべてを手に入れたってしあわせなわけじゃない(鈴木涼美)

慶應卒、東大大学院卒、元AV女優、元日経新聞記者、元都議会担当記者など多数の肩書でメディア出演している鈴木涼美さんの、女性のキャリアと仕事にまつわる作品。

本人の経歴も実際の出演でのトークの様子も非常に面白いが、この本もまさに「隣の芝生は青い」を体現したかのような作品で面白かった。

以前と比べて男女ともに、人生の選択肢が増えたが、「 選択肢がない事は間違いなく不自由だけど、選択肢があることは実はとても不安だ」 と 本書で述べられている内容を体現したかのような、「女たちのリアルな本音対決、15本勝負!」が記載されている。

●第3試合 子作り
早く産むか遅く産むかで、女の人生は引き裂かれる
A子 まだ早い、をいつ間違えたか忘れた女
B美 3人産んだら女同士の温泉は絶対無理

●第4試合 学歴
使えない高学歴は無意味、でもそれがないと……
A子 高スペックすぎる女の、無駄になった履歴書
B美 バカやってたいけどバカにされるくらいなら死ぬ

恋愛、結婚、キャリア、子作り、不倫、、どの人生を選んでも相応に大変であり、かつ、内情を知らない他人から見れば、その人の人生はうまくいっているように「隣の芝生は青く」見えるものである。

等身大の定年後~お金・働き方・生きがい~(奥田 祥子)

再雇用、転職、フリーランス(個人事業主)、NPO法人などでの社会貢献活動、そして管理職経験者のロールモデルに乏しい女性の定年後に焦点をあて、あるがままの〈等身大〉の定年後を浮き彫りにした本。

ある一人の各年代(中年期・退職前・退職後)における継続したインタビューを行なっており、中年期で会社でバリバリ働いている時期は「仕事と昇進が第一」と考えていた人が、退職前に出世レースから外れると途端に不安になり、退職後は再雇用を模索するも年収も下がり、部下より待遇が下になることに耐えられず落ち込むも、その後それを受容していく過程をありのままに描いていて非常に印象的だった。

定年退職後のリスキリングと趣味の重要性についても述べている。

基本的には、人間は退職後も仕事をして社会的に何か貢献していることを見出さないと鬱っぽくなってしまう生き物であり、その点でFIREなども考えものだなと考えさせられた。

何者かになりたい(熊代 亨)

「自分」に満足できないのは、なぜ?〈承認欲求〉〈所属欲求〉〈SNS〉〈学校・会社〉〈恋愛・結婚〉〈地方・東京〉〈親子関係〉〈老い〉アイデンティティに悩める私たちの人生、その傾向と対策について精神科医の先生が書かれた本。

とても読みやすかった。

あなたが好きでしようがないものが定まっていくこと、あなたがどうしても手放したくない人や居場所が増えていくことが、おおむねアイデンティティの確立であり、あなたが「何者かになっていく」こと だと言い換えられる (中略)

何者問題は、中年になったからといって完全になくなるわけではなく、「本当はもっと凄い肩書きや、アチーブメントを手に入れたかった」という気持ちを抱えながら働いている中年もたくさんいる。かつ、すでに何者問題を乗り越えたと思った人にとっても、そのアイデンティティの構成要素が、例えば、両親の死別・仕事の能力の衰え・子供の親離れなどによって、どんどん喪失していくことも起きてくるので、老年期はアイデンティティの喪失とも上手く付き合っていく必要がある。

弱者男性1500万人時代(トイアンナ)

「弱者男性」の75%は自分を責めている。
“真の弱者”は訴えることすらできない――。
「40代後半でカネもない
独身のおっさんに
人権なんてないんです。
そこにいるだけで
怪しくて、やばいんです」

弱者男性というワードでまとめ上げて、しかもその推計人数を出した本はおそらく初めてではないだろうか?メディアではなかなか取り上げられない、弱者男性1500万人について、様々な側面から分析されている。1500万人だと(実際にはそれ以上ではないかと述べられており)男性のおよそ1/4に当たる。

パーティーが終わって、中年が始まる (pha)

定職に就かず、家族を持たず、不完全なまま逃げ切りたい――

元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス⁉赤裸々に綴る衰退のスケッチ。

20代30代を文字通り自由気ままに生きてきた著者が、40代になって、あの頃の自由なパーティ期間(若さの魔法)が終わって、あとはどうやって生きていけば良いのだろうか?と悩んでいる独白はとても興味深かった。

ちなみに、著者のphaさんと、宇野さんと箕輪さんの「中年男性の中年男性による中年男性のための傷を舐め合う会」というタイトルのYouTubeも面白かった。

「死ぬこと以外はかすり傷」という、超意識高い系の出版をされた箕輪さんが、中年期に突入して、昔やっていたような六本木でお酒をハシゴしまくることはもうやっておらず、今は体力の衰えも実感するので、朝決まった時間に起きて散歩して神社に行くという真逆のライフスタイルを送っているところも衝撃だった。

体力の衰えとともに、社会的な目(40代にもなって定食につかず、家族も持たず、、、)が気になってきたということを述べている。

個人的には1人で自由に遊べるのを楽しめるのは、長くても30代もしくは40代半ば位までどう思っており、それ以降は1人で楽しく遊ぶこと自体に飽きてしまうのではないかと思っている。それに体力の衰えが拍車をかけてしまうのだろう。趣味をさらに広げてより楽しめるかもしれないが。超ソロ社会に突入し、この流れはおそらく不可逆的である中、なかなか残酷な現実である。

1日10時間以上もゲームしているプロのゲーマーが「最近はゲームをするにも体力気力がいるので、ゲームをする時間を自分の中でルールとして決めて、体力も温存するようにしています」とどこかで語っていた記事を読んだことがあり、なるほどなぁと思わされた。

老いの深み(黒井千次)

80代から90代の大台へと足を踏み入れた作家がつづる日常。少しずつ縮む散歩の距離、少量の水にむせる苦しさ、朝ぼんやりと過ごす時間の感覚など、自身に起きる変化を見つめる。

80-90代の老年期に関する本はあまりないと思うので(自分がまだ読んでいないだけかもしれないが)、事故ではなく行事めいた出来事になる転倒や、一人旅に対する漠然とした不安、テクノロジーについていけない心境など、とても貴重でリアリティがあった。

老いとは甘美な波であるらしい。そのような心境に立ってみたいと思った。

──そう、仕方がないのだ、と。なぜかわからぬが、それは甘美な波なのである。

この気持ちの動きは年寄りの単なる甘えではないか、との反省がすぐ後を追うようにして湧いてはくるが、仕方がないのだよ、と言い返す声は甘い響きを帯びて身の底に静かに沈んでいこうとする。

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